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徳島地方裁判所 昭和23年(行)4号 判決

原告

河見忠義

被告

牛島村農地委員會

被告

德島縣農地委員會

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負擔とする。

請求の趣旨

被告牛島村農地委員會が昭和二十二年八月二十六日爲した別紙目録記載の土地に對する買收計畫はこれを取消す。被告德島縣農地委員會が同年十月二日原告に對して爲した訴願棄却の裁決はこれを取消す。

事實

原告訴訟代理人は、請求原因として、被告牛島村農地委員會は原告所有の別紙目録記載の土地に對し地域外所有者の小作地であるといふ理由で買收計畫を立て、原告は昭和二十二年八月八日これに對し異議申立をしたが却下せられたので更に被告德島縣農地委員會に訴願したところ、同年十月二日訴願棄却の裁決が爲された。そもそも原告の家は牛島村に在住して父祖代々農業に勵み原告も又その後繼者として身を立てようとしているのであるが、昭和十三年二月一日不幸にも父を喪ひ家族も少かつたところ、原告は昭和十五年三月德島高等工業學校に入學し昭和十七年九月同校を卒業した後生計を維持するため一時香川縣の鐵道局に勤務したのであるが、その間父祖の耕作していた農地は昭和十四年十一月、昭和二十年四月、同年十一月の三囘に亘つて他人に小作地として貸與し時が來て自分が本來の業務である農業に復元できるやうになれば全て返還してもらう約束であつたのである。そして原告の家族は勤務地の關係から香川縣三豐郡觀音寺町に一時居所を定めていたことはあるが暑中休暇、特別公休日、日曜、祝祭日等のため一年の中約二百三十九日は牛島村の本宅に歸り前述の小作地以外に自作地として殘しておいた畑四畝餘と屋敷地を耕作し、戰時中食糧急迫の時は小作地全部の返還をうけようとさへしたが意のまゝにならず、現在では本宅に歸來して專ら農業に精進する態勢にあるのである。もとより原告の家には農機具その他の施設完備し、薪を採るに山あり、系譜祭具とゝのひ、祭祀交禮は全てこゝで行ひ、隣組常會の交を盡し、地租、家屋税、自轉車税、所得税を納め、第三種所得税金申出も毎年本宅でし税法上の家族に對する控除の申請も同樣であり供出もしておつたのであつて以上のやうな點を考へるとき原告の生活の本據は牛島村にあること一點の疑もないのである。然るに被告牛島村農地委員會は右の實情を無視し原告を他の一般の官吏のやうに故鄕を棄てゝ勤務地を轉々するものであるかのやうに誤解し、原告を不在地主として所有小作地を買收しようとしているのであるから右被告の事件買收計畫は違法として取消されるべきであり又この買收計畫を認容して原告の訴願を棄却した被告德島縣農地委員會の裁決もまた違法として取消さるべきである。よつて請求の趣旨の通り本訴請求に及んだ次第であると述べ立證として甲第一號證、第二號證の一、二第三號證の一、二、三、第四號證、第五號證の一乃至六、第六號證の一、二、三、第七乃至十一號證を提出し證人野口富三郞、笠井律雄並に原告本人の各訊問を求め乙號各證の成立を認めた。被告等訴訟代理人は主文同旨の判決を求め答辯として原告の請求原因の事實中冐頭より被告德島縣農地委員會が昭和二十二年十月二日訴願棄却の裁決をしたといふ點に至るまでの部分及原告が昭和十七年九月德島高等工業學校を卒業し、鐵道局に就職勤務した事實は認めるがその餘を全部否認する。と述べ立證として乙第一乃至五號證を提出し證人佐原一人、被告牛島村農地委員會代表者の各訊問を求め甲第四號證同第六號證の三は各不知と述べその他の甲號證の各成立を認めた。

理由

被告牛島村農地委員會が原告所有の別紙目録記載の小作地に對し地域外地主の所有地として買收計畫を立て、原告はこれに對し異議申立をしたところ容れられず更に被告德島縣農地委員會に對し訴願したところ同委員會は原告の訴願を棄却する旨の裁決を爲したことは當事者間爭ない。成立に爭のない甲第一號證によれば被告牛島村農地委員會は昭和二十年十一月二十三日現在を基準として右買收計畫を立てたことが明かである。成立に爭ない乙第一乃至三號證に證人野田富三郞、笠井律雄の各證言の一部、原告本人訊問の結果の一部を綜合すれば原告は昭和十三年二月父を喪ひその遺産にかゝる本件土地を自ら耕作していたが、昭和十四年七月工業技術養成所に入るとゝもに人手不足の爲同年十一月頃から本件土地を同村の人や親類等數人に賃貸し、昭和十七年九月德島高等工業學校を卒業した後香川縣三豐郡觀音寺自動車區に勤務し、昭和十八年一月十八日結婚し同年三月二十日觀音寺町大字觀音寺甲千五百三十九番地に寄留し、爾來昭和二十二年三月三十一日牛島村に復歸する迄其處で居住し家族も全部原告と同居し、生活物資の配給は全て同地で受けて居り自己が觀音寺へ寄留した昭和十八年の春頃牛島村の自宅の母屋の一部と納屋半分及牛小屋一棟を從兄弟の野田富三郞に賃貸し、昭和二十年一月同人が出征するや續いて笠井律雄に賃貸し昭和二十二年六月同人が新築家屋に移轉するまでその状態が續いた事實を認めることができる。他面成立に爭ない甲第六號證の一、二同第七號證第十號證に證人野田富三郎、笠井律雄の證言の一部並に原告本人訊問の結果の一部を綜合すれば原告家は代々牛島村に居住して農業を營み、本件土地を耕作し山林を有し原告所有の家屋には農器具完備し、系譜祭具等もこゝにあり、原告は季節の祭祀供養を怠らず一週土曜日曜の休日、定期、特別の各休暇には歸鄕して家屋敷の外四畝歩の畑を耕作しその他所得税、家屋税その他諸税の納付を自ら處理し、昭和十六年から小作料が金納に改められるまではその小作料として受けた米麥を供出しその代金を牛島村農業會に貯金していた各事實を認めることができる。以上の諸事實を勘案すれば原告は昭和二十年十一月二十三日現在ではその住所は香川縣下にあつて牛島村にないもの換言すればいわゆる不在地主であると認定すべきものであるから被告村農地委員會が本件買收計畫を樹立し、被告德島縣農地委員會もまた右の買收計畫を認容し原告の訴願を棄却したことには少しも違法の點がない。けだし自作農創設特別措置法第三條第一項第一號にいう住所とは一應民法第二十一條に規定されている「生活の本據」であり且つ現に居住することが必要であつて其の生活關係がその場所を中心として構成せられていなければならないこの觀點より原告の生活關係をみるとき牛島村において法にいわゆる住所があつたものと認めるに足らないからである。

以上説明の理由により原告の本訴請求は理由のないものというほかはないから訴訟費用の負擔に付民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。

(目録省略)

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